第三話 魔界―壱―

 

 

 

それは悲しい物語、それは辛い御伽噺、悲惨で、哀れで、残酷な戯曲。

 

私はそれを語ろう、語り尽くそう、物語の終焉まで、最後の最後まで。

 

物語が終焉を迎えれば、それは惨劇の始まりなのだから、始まりに向かう終わりのために言葉を重ねよう、悲劇で哀れな物語を、これより目を背ける事は許されず、耳を塞ぐ事もまかりなら無い、そういうそういう物語。

 

末期の最後までこのお話にお付き合い願えるならば始めよう。

 

罪業など生温く、後悔など今更に過ぎ、懺悔など戯言に成り果て、偽善を暴き、自殺さえ赦さず、未来永劫己苦しみの底を見せ、己が耳で地獄の怨嗟を聞くほうがこの女にとって美しい調べとなる物語を、罪に塗れ罪を己からすら欺く大罪人に相応しい物語を、自己の偽善のベールを悉く切り裂く刃物のような言葉のナイフによって。

 

苦しみの戯曲を、怨嗟のストーリーを、救いの無い御伽噺を。

 

私は詠って聞かせよう、偽善に塗れた存在にはどれ程の物語になるかなど知りはしない、だが知りたいといったのだ、耳も目も叛ける事は許しはしない、最後の一言まで言葉を聞き漏らすことさえ許しはしない、目の前にいる怨敵にとっては耳に良い内容はひとかけらとして成りえない話、だが聞くと希望した以上は答えてやろう最後の最後まで答えてやろう、どれだけ愚かな聞き手にも私は語り部を勤めよう。

 

白と金色の姫君は滔々と口にする、意味も無い、ただの戯言に過ぎない実話を。

 

どれだけ何を掲げて語ろうと戯言に過ぎない、既に起こりえたことを語ってもそれは戯言、ただただ彼女の前にいる罪人に苦しみを与え認識を狂わせる為だけの戯言。

 

今更語ったところでどうしようもなく、どうしようもない言葉など戯言に過ぎないのだから、本当に今更の物語、今更何を口にしようが変わることは無く何を口にしようと変えようが無い、つまりは底の底から戯言物語。

 

そんな事は姫君が一番判っているそれでも聞かせてやるのだろう、その意味は“嫌がらせ”、その程度のものだよ、その程度しか価値の無いお話にそれ以上の価値を付けることなど、意味の時点で存在しない。

 

 

 

 

 

彼女達は望み通り魔界に堕ちた、其処が最良の逃げ場であったから、最良の環境であったから、誰にも少なくとも人間には手を出せない魔界が、ある意味において人間にとっては最悪、だがそれ以外にとっては特に魔の属性を持つものにとっては最良の逃げ場。

 

人間には絶対に手が出せない聖地、魔の世界なのに聖地という表現も些かに妙だが、不可侵領域という言葉で聖地を括るならば間違いなくの聖地、逃げ場としては揺り篭のような世界、荒れ狂う魔がいる世界だというのに、その世界は本当に、揺り篭。

 

壊れた人が魔と成り果て産声を挙げた時に魔界にて育まれ癒される、これは揺り篭だろう。

 

無論戯言、何処の世界に、特定存在にとっての揺り篭などがあるものか、揺り篭などは一つもなく、虚構に過ぎない、誰かが揺り篭を意図として作り上げなければ不完全な揺り篭の一つとして維持も出来はしない。

 

逆説にはつまりは誰かが揺り篭を作り上げ維持したということ。

 

揺り篭を、男の為に魔の地に揺り篭を、癒す為に、安息の為に、揺り篭の維持者にとっては辛い、辛い揺り篭の維持となろうとも、誰もが彼もが維持することのみ意識を傾ける。

 

 

 

 

 

その揺り篭の作り手の一人、金と白の姫君、獣の王、妖族の頂点存在玉藻、激しく美しく淫らに禍々しくそして煌びやかに存在する白き獣の女王。

 

彼女こそが魔界に堕ちた際最も激しく周囲の環境に反応し、最も急激に環境順応を成したのも玉藻、魔界の空気は魔界の澱みは心が憎しみに凝り固まっていた玉藻に力を与え急速に力を取り戻した。

 

力を戻した要因は様々なれ、玉藻はそもそもが神魔に近い存在概念を孕んだ存在、そのあり方も神魔のそれに近い、いや過去彼女はその域に達しようとすらしていたといっても過言ではないだろう、ならば今の彼女が魔に落ちたことにより魔族になることに何の支障があるか。

 

ない。

 

そして、何より彼女は己の力を渇望し、憤る感情に己を任せ、彼女がどうしてそのような選択をなしたかは不明、知る由も無い、それは彼女本人が知るところ、だが感情のまま、あるいは本能に身を任せて彼女は力を望んだ、過去の己の力を。

 

神にも魔にも匹敵した最強の妖魔としての力を。

 

そして強すぎる感情は彼女の過去を呼び起こした、感情を喰らい己の力を高める、それも感情を持つ生物で強い感情は憎悪、それを好物としていた妖魔、白面として。

 

己の憎悪を喰らった、己の怒りを喰らった、己の絶望を喰らった、己の全ての負を喰らった、喰らい尽くした、己自身を、最も自分に適したエネルギーである自分のエネルギーを喰らいに喰らった。

 

その結果は顕著、彼女は過去を手に入れた、全ての過去を手に入れ、過去の自分すらも喰らった、過去の記憶も力も姿も何もかも、己の感情を消化に費やし喰らった、そして手に入れた、過去を上回る力を、過去を制御した自分を。

 

無論のことそれは彼女が魔界にいたからというのもある、魔界は今の彼女に多大な力を貸していた。

 

溢れるほどの魔力、現世と比べるとまるで密度が違う濃厚な力の源、それが彼女に過去を上回る底力を与え、協力した、もし彼女が現世で己を支配しようとしたならば逆に過去に喰われていただろう、彼女の過去は最悪に近いくらいに、最悪なのだから。

 

それでもそれは不条理、あり得ない現象、だがその理不尽を彼女は踏破し、その存在を勝ち得た本来の彼女、九尾の狐としての力、彼女の持ちうる力、妖怪の中でも稀有で絶大な力、歴史上最強に列する妖怪九尾の狐“白面”として、その力は彼の大妖怪にて今や神の一柱、武神斎天大聖孫悟空にさえ匹敵する。

 

禍々しいまでの狂気とともに勝ち得た存在の在り様、彼女は狂喜した、自身の力を、男を守れるだけの力を、復讐を成すには十分すぎる力を。

 

だが彼女はそれでも自身を蔑んだ、今更に戻ってきた力を、必要な時に存在しなかった力を、そしてその力を得ても男を癒すことの出来ない自分を、嫌になるほどに嘲った。

 

守ることは出来ても癒すことなど出来ない力が、時節を弁えず力を得た自分を。

 

たとえそれが今この時にしか得られない力だと判ってはいても憎悪し嫌悪し自虐し侮蔑し憤怒し嘲笑し罵倒し見下し諦観し自傷し否定し断罪した。

 

そして力を得ても肝心要の事を行えない自分の矮小さを笑った、心の底から自分を嘲笑った、弱過ぎる、力だけを手にした無力、破壊だけに特化した非力、万能に近い無能を心の底から憎悪した、望んだことには違いないが今まさに必要なものを得られない自分に諦観した、そんな負さえ喰らって強くなる自分を更に哀れ、哂った。

 

コレが笑わずにいられるだろうか、憎まずにいられるだろうか上級の神魔にも届こうという力を手に入れて自分は何も手に入れられない、自分は何も出来はしない出来るのは自分を嘲ることのみ、自分を蔑むことのみ、自分を見下すことのみ、それしか出来ない最強。

 

それでも彼女が壊れ自身を卑下し切れなかったのは庇護の対象がいたからだろう、半人半魔の横島忠夫、魔族となったフェレス、彼と彼女を守る力を得たことだけでは彼女は自身に誇りを与えてくれたのだから。

 

自分の力が男の癒しにはならず、男にとって何の役にも立たなかったとしても、玉藻は外敵から守るという力の存在で間接的に男の役に立つことを見出せたから、たとえ外敵がいない環境であろうと、彼女は最悪を退けられるほどの力を有したのだから。

 

力のみが彼女を支える全てとなる、破壊の権化に近い力のみが彼女を支える全てとなる、全てを踏みにじる金色の夜叉となることで彼女は自分に意味を見出せたのだから自分達以外を踏みにじる羅刹になることが彼女を保つ、魔界で玉藻は確実に破壊神に相当する存在にまでなるだろう、そうすることによって男に指一本危害を加えられることが無いとなるならば、彼女は殺戮を躊躇わない、殺戮の為に更に自分を追い込み力を高めることを躊躇わない。

 

自分が嘲るしかない力でさえも彼女は使う、それしか出来ないのだから。

 

力こそが全て、それこそが何も出来ない万能を手にした妖狐玉藻、いや魔獣白面が魔界で見つけ出した哀れな存在の在り方。

 

 

 

 

 

フェレス、美神令子の魔族名、自身が自身に名付けた名。

 

以前の名など汚らわしく名乗る気も起きなかったか、それとも以前の繋がりを強める意味でその名を名乗りだしたのかは判然としないが彼女の名前はフェレス、横島忠夫との縁を強める魔性の女の名前を彼女は踏襲した。

 

彼女は魔界に堕ちる前にワルキューレ、べスパ、パピリオ、ヒャクメ達の力を借りて魔族となった、彼女の決意と彼女の感情、彼女の思い、全てに揺るぎが無く、誰も否を唱えることは出来なかった。

 

本来、止めなければならない小竜姫ですら、彼女に一言も止めることを口にすることは出来なかった、彼女でさえ堕天しかねないほどその身を怒りに染めていては止めることなど出来よう筈も無い、そして理解もしていた横島にとっての今の安住の地を、魔に成った体だけでも癒すのに必要なのは魔界の風土であると。

 

儀式自体は簡単、本人が魔族を前世に持ち、本人の意志が魔族になることを渇望している、第一魔に堕ちること自体は本来難しいことではないのだから。

 

只望めばいいのだ、純粋に黒になることを闇に染まることを人で在ることを捨て去ることをそれだけで後は儀式さえ成功すれば魔族として転生し、魔の性を携えた別種の存在として確立する。

 

正確には一度死亡して魔族として誕生するというプロセスをへるのだが、一度の死亡に対してフェレスに躊躇いは無かった、自身が人間であることさえ憎悪していた、横島にここまでのことをする連中と同種の生物であることさえ我慢ならなかった、人間を辞めたくて仕方が無かった、あの女と同じ血の色をしているというだけで吐き気がしているほどに。

 

名前が、存在が、自分の血肉が、総てが全て彼女にとっては不要物、憎しみの対象物、そんなものはすぐに捨て去りたいのだから、捨て去ってしまわなければならなかったのだから、彼女自身の為に、彼女は何の躊躇いも無く儀式の際に短剣を己の胸に突き刺した。

 

そして自分の血肉容姿気配存在名前その全てに怯える彼から怯えられない為に、彼女は総てを変えたかった、魔になることで彼が怯えないという確信などありもしなかったのに、ただ脅えられる事が堪らなくいやだった。

 

だが。

 

魔に変わっても彼女は怯えられた。

 

最も脅えられた。

 

それは彼女を苛んだ、魔に身を堕としたからといってフェレスの心まで強くなれるわけが無い、所詮人も魔も神も感情を持ち、生きる存在には違いない、その心の在り方自体は変わるのかもしれないが、その過去の総てが消え去るわけではない、過去の情念そのものが消え去るわけではないのだから、彼女を形成した感情やそれらに付随する総てが消え去るわけではない、そして消え去らないのなら感情というのは些かに厄介だ。

 

感情に振り回されるのが殆どの知的生命の性、感情は往々にして宿主を苦しめ、惑わす。

 

感情は彼女を苛んだ、確かに彼女は力を得た、人間だった頃とは比較に出来ない力、玉藻に比べれば脆弱としても力は得た、魔界で生存する体も得た、男を逃がす場所も得た。

 

だからと言って、力も場所も安全も得たとして、やはり彼女も何か得られたわけではない、彼女が男に何か出来たわけではない、彼女が出来たのは耐えることだけ、怯えられる男の目に耐えることだけ、自分が何かをしたわけではないが、彼に何をしたわけでもないが、彼の怯えた目は彼女には罪悪の弾劾にしか写らず、その目は彼女を痛めつける。

 

何もすることが出来ず、只玉藻と男と仲間達とで魔界の片隅で只耐えるしかなかった、暴れ狂う感情を抑え付け、魔族になって得た感情を封じ込め、そして只耐えた無力を、変われなかったことを、癒すことが出来ない自分を。

 

暴れ狂う負の感情は抑えきれない魔族の破壊衝動と成り果て、加えて自分の無力感、苦しみだけが続く、怒りだけが憎しみだけが募る、それを人間に晴らすことも出来ない、魔族になってさえフェレスでは何も出来ず、フェレスでは横島を救うことは出来ず、フェレスでは横島を傷つけることしか出来ない。

 

そんな現実を魔界でフェレスは当人たる横島により突きつけられた、横島の存在が彼女を彼女の罪でない罪を断罪された、まるで存在こそが罪だというように、無論横島がフェレスに何かを糾弾したわけではない、ただ彼女が感じただけ、そして彼女が感じ取った罪はフェレスが負うべきことではない。

 

だがフェレスは自分を呪い、自身を穢れていると思い、自分の存在を疎み、存在自体赦し難かった、自分の姿が疎ましくて仕方が無い、あの女に似ている自分が汚らわしくて仕方が無い、存在するだけで男を苦しめる自身が煩わしくて仕方ない。

 

その苦しみがどれだけフェレスの罪では無かったとしても。

 

 

 

 

 

彼女達、フェレスと玉藻はとりわけ横島忠夫に対しては無力に過ぎた、それが己自身の罪でもなんでもなく、彼自身に刻み込まれた忌まわしい傷痕が与えた無力だとしても、彼女達は自分の無力を呪った。

 

 

 

 

 

実際、横島忠夫は妙神山で目覚めた時も発狂状態が続きその場にいた全てに脅えた、パピリオにさえ脅えた、言葉は届かず、思いは届かない、何も彼には届かない。

 

自分が兄と慕い淡い慕情を持つ義兄から拒絶されたと思い込んだパピリオが縋り付いてくるのも跳ね除ける拒絶、そして跳ね除けた相手に今度は赦しを請う惨めさを呈し、自分に何かを加えられることを恐れた。

 

普段の彼ならば絶対にすることが無い行動、彼が妹と認識する幼い魔族に絶対にしない行動。

 

その時の彼にあったのは苦痛から逃れること、体の痛みから逃げること、心の痛みから逃げること、飢えから逃げること、他人から逃げること、人間から逃げること、意志持つ生物から逃げること、全てから逃げ許しを乞う事しかなかった。

 

発狂した彼の本能が逃げること、許しを乞うこと、卑屈になることを強いた、幼子が親からの虐待を受け、それを免れようと口にする言葉のように。

 

その姿は見る者を傷つけ、その声は聞く者を苛む、地獄の悪鬼に責め抜かれた罪人よりも悲惨で哀れな姿と声、どうすれば人間がこうなるのか判らないほど彼は精神が壊されていた、壊されきっていた。

 

それだけではない。

 

その姿と声に加えて彼は全てから逃れる為に自害を図る、何度も何度も目を離せないほどに、そして彼女達に何度も何度も死を求めた、死を懇願した。

 

体や心を痛めつけられるのは厭うのに死を渇望する、それは完全な矛盾であり、正常な欲望だった、彼が周りを総てが全て自分を苛むものと認識し、自分の言葉など届かないと思い込んでもしていたただ一つの我侭、それが死。

 

それはどれほど聞きたくない言葉だったろう、彼に思いを寄せる女にしてみればどれほど聞くに堪えない調べだったろう、思いを募らせる相手に死を懇願されるなど。

 

だがそれは仕方ない、彼にとっては自身の身が安全だと最早判断が付かず、死ぬことが全ての開放に繋がる逃げ道に思えていたのだろう、死こそが救済というように。

 

だが、周りの女性達にしても死を赦すわけにはいかなかった、死んでしまうのは受け入れられなかった、死んだほうが楽なのかもしれないという思いが心の片隅にあってさえ彼の死は受け入れられなかった、其れはボロボロになった横島に彼を慕う女性達が強いたたった一つの我が侭だろう。

 

 

そのたった一つの我侭は彼をここまで破壊した人間も赦さなかった事。

 

 

 

 

 

自殺を望む横島から目は離せない、だが彼に近づけば彼は発狂する。

 

その為、彼は眠らせたままで魔界の片隅、周囲に外敵の危険も少ない何も無い森の中にてフェレス、パピリオ、玉藻、ベスパ、ワルキューレが彼を守るようにひっそりと隠れ住むことになった、誰も周囲にいないような陸の孤島のような環境で。

 

始終誰かが彼の傍らに居れる様、彼が何時か安心する時まで平穏な場所での静養の為に

 

それすらも何の平穏にも為らないことを彼女たちはその時には判ってはいなかったのだけど、彼の心は平穏を望むには壊れ過ぎていた。

 

 

 

 

 

因みにべスパとワルキューレは魔界軍からの派遣命令を受け、内容は半魔横島忠夫の保護、陸の孤島のような土地も魔族側の提供であった、魔界軍の軍事演習場のような土地らしく周囲に他の魔族が寄ってくることも無い。

 

魔族全員が横島達に好意的というわけではなく、その存在を知っているのさえごく一部といえる状態では最良の隠れ場だろう。

 

この厚遇は魔族にしてみても横島忠夫は重要人物であり、アシュタロス戦役の功労者であり、神界同様、あの惨事はデタント派の魔族にしてみれば恥以外の何者でもない。

 

結果としては矮小だと思っていた人間が解決した、それで人間への見方が変わるほど単純なものではないが、魔界でも横島忠夫は英雄視されるだけの知名度を持ち功労者だった、そしてなまじ実力主義の魔界では横島忠夫は純粋に実力者と恩義のある人物と評価され、彼を受け入れることに否は無かったのである。

 

魔族のほうがその手の義理には拘る、力しか信じられない魔族にとって義理の貸し借りは助け助けられたことは忘れない、いや力そのものが至上とする故に助けられた力には敬意を払うといったところだろうか。

 

加えて彼を優遇した上級魔族は取り分け彼に好意的であったとも言える、彼女は受けた恩には報いることを常とし、横島忠夫は報いるだけの恩がある相手、彼女は自身が軍人であるが故に彼を評価し彼を受け入れた、そして人間を憎悪した。

 

感謝も恩義も感じられない猥雑な人間を憎悪した、それはなまじ彼の身内がこの仕打ちに関わったことを知ったから、彼女の信念とは真っ向から対立する行為「裏切り」だったからかもしれない、魔族、とりわけ軍人は“戦友”を裏切らないのだから。

 

仲魔は裏切っても戦友は裏切らない、己の背中を任せられる任せた存在を蔑にはしない。

 

魔界軍の将官である彼女は彼の受けた下種な行為を吐き捨てた「何たる浅ましさ、何たる卑小さ」と、追記すると彼女はかなり高位な女性魔族で、後で追加で一人女性魔族を派遣する。

 

 

 

 

 

魔界に来てからも横島が癒えることは無かった他者を怖がり、脅え、恐怖する。

 

原因は判明していた、下種にも劣る卑劣な手段の成果。

 

ヒャクメの過去視により判明したが精神的拷問の時に彼の知り合いの姿を使って何かしらやられフェレスや玉藻やパピリオ、ワルキューレにも脅える始末、唯一べスパだけは何とか彼からの怯えが少ない女性となっていた。

 

べスパは横島本人とそれ程普段の付き合いが無かったから、彼女の姿が拷問に使われることは無かったのだ、それでもパピリオやルシオラの姿を連想させる彼女は若干の怯えの対象となっていた。

 

追記するとなまじ横島本人と近しい存在に彼は恐怖するようだ。

 

 

 

 

 

それは、あまりに非道な事だろう、横島をいたぶった連中は彼の心を徹底的に壊したのだから、彼の思い、彼の心、彼の慕情、彼の関係、全てを一切合財ぶち壊した。

 

彼に繋がる全ての関係が、彼を取り巻く全ての存在がぶち壊し。

 

彼にまつわる全てが彼の恐怖に繋がり、彼が愛した女でさえも恐怖の象徴に変えた。

 

これ以上の非道は早々無い、これ以上の悪夢は余り無い、そしてこれ以上に他人に怒りを買う方法もまるで無い、特にその対象が好意をもたれる対象ならば、好意を持った存在はどれほどの怒りを抱くだろう。

 

自分の姿が苛む道具に使われたと知ったなら。

 

 

 

 

 

それを知った時、一番激したのはべスパだった。

 

彼女は別段横島を怨んではいなかった、己が愛した造物主は自ら死を望み死ぬことで彼の望みは成就したともいえる、それを理解していたべスパは横島を怨む理由は無く、恋人、姉を奪った自分が恨みの対象になると思い苦しめるだけだと顔を合わさなかった。

 

それは杞憂だったろうが、女性に対して底抜けに優しい男は彼女を責める事は無かっただろうから、いや責められないから彼女は横島と顔を合せ辛かったのかもしれない、憎悪し罵倒してくれたほうが楽なものだろう、笑顔を向けられるよりは。

 

責められ怨まれる為だったら幾らでも顔を合わせただろう、それで彼の気が晴れるなら。

 

だけど横島は優しすぎた、それが彼女を疎遠にし、疎遠になったことで彼女が精神攻撃の手段とならなかったのは僥倖といえるのだろうか、あまりに皮肉な僥倖だろうが。

 

だが故に激した。

 

横島が姉を愛した気持ちを踏み躙った人間を、自分が彼から奪い去った存在を汚した人間を憎悪した、妹を見て脅える横島で打ちのめされた顔をする妹を見て怒った。

 

この時彼女が暴走して人間界に復讐をしようとしなかったのは奇跡に近い。

 

いや当時の彼女達全員に言えることだが安易に復讐に走らなかったことは奇跡に近かった。

 

力は得ていたのだから、持っていたのだから。

 

この奇跡をなしたのは件の女将軍なのだが、コレは魔界の政治的な問題であり、彼女も個人としては止めることを良しとしてはいなかったが、彼女は個人である前に公人であったから、どれ程自分の感情が迸ろうと、それを殺すのが彼女であったから。

 

今大々的に魔族が人間の虐殺という事件は避けねばならなかった。

 

彼女の公人としての頼みでなんとか彼女達は押し留まった、でなければ一年もの期間人間界に彼女達が復讐に参ぜられない筈が無い、参ぜ無いはずが無いのだから。

 

 

 

 

 

その為、当初横島の世話を焼けるのはべスパだけだった、ベスパ以外が近寄るだけで激しく反応するのだから他に選択肢が無かったのだが。

 

そしてベスパは献身的だった。

 

それが姉を奪った罪悪感から来る行動かもしれないが、彼女は懸命に横島の看護をしていたといえた、罪の償い、そして願わくば姉への想いを正しいものに取り戻すことを願って。

 

そして次第に横島に関係の薄いものから順に横島の反応も薄くなっていった、他人が怖いものではないと思えたのか僅かに理性を取り戻したのかその判別は付かないが。

 

 

 

 

 

この時哀れだったのはフェレスと玉藻。

 

横島に最も近い彼女達は殊更彼に拒絶され彼に近寄ることも出来なかったのだ、彼女達は横島にとって恐怖の象徴にこそなりすれ、癒しにはなる事は出来なかった。

 

それが彼女達の無力、彼女達が悪いのではないが彼女達に無力を感じさせたこと。

 

特に悲惨なのはフェレスだったが。

 

玉藻は本来が狐、変化の術は得意中の得意であり、姿を変え、話し方を変え、別人を装えば横島に接することも可能だった、其処に自分本来を見ていない横島と接すると言う苦渋があったとしても、彼女は微力ながら横島に関わることが出来るのだから。

 

フェレスは近寄ることも出来ない、だが失う恐怖で離れることも出来ない、何時も横島から離れて遠くから彼の様子を仲間に窺い、己の無力を憎み、己の姿を憎み、己の血を嫌悪することを繰り返すしかなかったのだから。

 

魔の体を得てさえ己の姿にはあの女を連想させる姿には憎悪しか募らなかったのだろう。

 

 

 

 

 

この時女将軍に派遣されたのが復活を果たし魔界軍に入隊させられていたメドーサ。

 

彼女が派遣されたのは今までの反デタント派で行った懲罰を兼ねてと横島達と知己であったこと、本人は僅かに難色を示したが基本的に軍隊は上の命令は絶対、従うほか無い。

 

只、横島にとってメドーサの派遣はそれ程悪い判断ではなかった、彼の恐怖の記憶に無いメドーサは見知らぬ他人をそれ程怖がらない段階にまで回復していた横島にとっては怖い存在ではなかった。

 

そして、メドーサ自身が一度横島の体内から生まれ変わっている(派遣されたときの姿は23・4歳ぐらいの外見だったが)、どうにも気配の質が血縁者を思わせる質の近さを持ち合わせており、何故か横島はメドーサには気を赦した。

 

メドーサ本人が戸惑う程に、メドーサは容易く横島に近寄ることが出来たのである。

 

メドーサにとって見れば横島は自分の計画を悉く根本で邪魔してきた存在、疎ましい存在、恨みを抱いてもいい存在。

 

だが、今の横島を見てメドーサはそんな感情を抱かなかった、抱けなかった。

 

極悪人である彼女にも彼は哀れに写った、その姿に怒りは感じなかったが非道には感じた。

 

「人間は私等より怖いねぇ。こんなこと平気でやっちまうんだからさ」

 

彼女のコメントだ。

 

ただ、彼女は徐々に人間に怒りを持つようになる、憎しみを持つようになる、恨みを持つようになる、殺意を持つようになる。

 

彼女は、横島の世話をする内に横島に初めて抱かれた女となるのだから。

 

自分から体を開いて、女の肉体で男を癒すように、彼女は自分の体で横島を慰めるようになるのだから、それは寂しい孤独の蛇神が自分に縋る男に感じた慕情の表れ。

 

 

 

 

 

ここからは一人の蛇の物語、蛇の女神の物語、悲しい、暖かい、寂しい、気丈な、孤独な、冷静な一人の女の物語、一人の女が壊れた男に関わる物語。

 

女は蛇、神であり魔であり、その双方で生きてきた存在、死んでも死に切れず生きていくしかなかった蛇女、傍目には哀れに、彼女は自己を捨鉢にみなし。

 

裏切り、裏切られ、隷従し、追放され、疎外され、阻害される、そして、戦い、廻らし、弄し、傷つけ、傷つけられ、見下し、見下され、それらを常とし生きてきて、生きる場所を求めて足掻いてもがいて、それでも居場所を手に入れられない、そんな蛇の女が居場所を手にする物語。

 

孤独のサイクルに嵌ってしまっていた彼女が孤独のサイクルから出る物語、サイクルから出るのに手を貸したのが同胞から裏切られ謀られ傷つけられ見下され、壊れたサイクルに叩き込まれた男というのは皮肉が利いたものだろうが、彼女ならばその皮肉を笑い飛ばすだろうか、それともその皮肉に逆鱗を震わすだろうか、それはこれから語る物語、まぁこれは戯言では済ませられない物語なのかもしれないけれど、いつも通りの戯言物語。

 

 

 

 

 

私はどうしちまったんだろうねぇ。

 

私を二度も殺した奴が愛しいなんてさ、私のする事を悉く邪魔する奴が愛しくなるなんて馬鹿げているじゃないか、嘗ての敵と恋仲なんて陳腐な三文小説に劣るよ。

 

そんな少女漫画のような展開が私に縁があるなんて思いもよらないじゃないか、私は神界のブラックリストに載るような悪党だよ、そんな恋愛なんてあるわけないじゃないさね。

 

恋愛自体が成立しているとも思えないんだけどさ、こいつは今私の胸で寝ているこいつは私を愛しているのはどういう感情かは判りゃしないからね、私を母親だと思ってるのか、恋人だと思っているのか、それともただ不安を慰めてくれる何かと思っているのか。

 

それでも愛しいんだからねぇ、私が無償の愛、聖書にでも載っているような胡散臭い言葉の通りに私が感じる、それ自体がお笑いじゃないか、私はこいつに抱かれて快楽よりも暖かさに満たされるよりも暖めてやりたいなんて思えるだなんて、汝が隣人を愛せ、今私の隣にいるのがこいつなのだったら私は聖書の通りに愛しちまっている。

 

それに、それに、それに、それに、それに。

 

こんなにも人間が憎いだなんてこれ程にも憎いだなんて、これが憎悪かい、今まで私が感じていたのは一体なんだってのさ、これ程身を焦がすものこれ程冷めていくもの。

 

これが憎悪、こんな物を私は感じたことなんてないよ、あれだけ殺し裏切られ闘争の中に生きてきた私が感じたことが無いほどの激情、これが本当の憎悪、なら私は今まで何を憎んで生きてきたんだい、あの程度なら何も憎んでいないのと変わらないじゃないか。

 

こいつに感じていた恨みなんてどれ程のものだって言うんだい、無かったようなものじゃないか、これが本当の憎しみ。

 

私にこんな感情を与えた奴は赦さない、こんな感じたくも無い感情を私に植え付けたやつを許さない、私の、私の男をこんな風にしちまった奴を赦しはしないよ、たとえ私がこの男に巡り合ったのが壊れたお陰だとしてもさ、私が私になれたのが壊れた男のお陰だったとしても、私は忠夫をこんな風にした人間を赦さない。

 

何時か私は壊した連中を見つけ出して、ここに引きずり込んで生きたまま魔獣の餌にしてやる、魂までも食らわせて永劫に食われ続けるようにしてやる、死んでも死んでも死ねないようにしてやる、そして何度も何度も殺してやる。

 

 

 

 

 

メドーサ、元神族の女性神、堕天しもしくは追放され魔族として生きる元女神、ブラックリストに載るほどの札付きの悪党、そして元アシュタロス陣営の一人、嘗て横島に存在を滅せられた者。

 

彼女の生がどんな風に彩られていたのかは知らない。

 

彼女が何百年生きたのかは知らない、神として何年存在したのかも知らない、魔に身を堕として何年経ったのかも知らない、只愉快な生を送ってはいないだろう、満足な生を送っていないだろうことは簡単に想像が付く。

 

満足な生を送っていれば彼女は堕天しなかっただろうし、堕天してもまた違った生を送っただろう、それが穏やかか激しくかは判らないが、彼女が満足はしていなかったように思う。

 

彼女の長い生の中に安寧も安定も安全も安心も幸福も慈愛も愛情も無い、限りなく無い。

 

それを不幸と断じるのは彼女の主観問題であり客観的視点により断ずるものではない。

 

だけど彼女は不幸と自身を蔑んではいなかっただろうに思う、彼女は自身を蔑むには気丈に過ぎ、そして自身を其処まで卑下するほど卑屈でもない、只幸福とも思ってはいなかっただろう、幸福というには彼女は満たされていなかっただろうから、ただそれでも満たされたいとは彼女は思っていた、無論これも推測。

 

不幸とも幸福とも言えない生の中で居場所を保持するためだけに戦っていたのだから。

 

そして彼女の戦いは、彼女の魔族としての戦いは彼女に居場所など与えはしなかった。

 

 

 

 

 

その彼女が魔界にて再び生を取り戻したとき正直彼女はどうでもよくなっていた。

 

何もかも。

 

現在過去未来どうでもよかった、長きに渡り神として魔として生きて、戦いに負け自分の居場所も失って今や神からも魔からも裏切り者の自分が居場所も無く生きる意味も無く目的も無く、只存在する、それならどうでもよかったのだ、自分がどうなろうと、自分という存在がどうでもよかったのだ。

 

自分がどうでも良いという状態に陥った彼女は真の意味で、今までよりも更に孤独なサイクルに落としていた、落ちることそれ自体は彼女が望んだことではない、だが彼女は落ちていった、落ちるだけしかない孤独なサイクルに。

 

故に彼女は魔界軍、軍隊に組み込まれると判ったときも反抗はしなかった、只駒として生きる軍隊の一兵士としてなら居場所ぐらいにはなる。自分がどうなるかなど考えずとも、仕事、任務、訓練等が密に組み込まれている軍隊では考えずとも動いていく、動かしてくれる、そして死に場所も用意してくれる。

 

只駒として動けばいいのだから、何も考える事無く、只戦えばいい、機械のように、戦い、動き、従い、そして死んでいく。

 

だから軍隊は居心地が良いとか悪いとかじゃなくて、何も考えずにいられる場所だった。

 

彼女にとって、軍隊という場所はそういう場所だった。

 

だから彼女は黙々とこなした、訓練を、任務を、それがどんなものであれ、どんな種類であれ彼女は手を染めた、何の感情も無く機械的に無機的にただこなす、いつか死ねることを期待して、このときの彼女には自殺すら煩わしかったのだろう、その選択を彼女は選べたのに選ばなかったのだから、それでも彼女はそのうちに自分が死ねると思っていた、元々が魔界でも裏切り者のレッテルを張られる彼女が真っ当な任務など回って来るはずも無い、任務は苛烈で部隊の仲間が全員揃って帰って来られるなど稀有な任務も文句を言わずこなしていった。

 

本当に駒のように、只機械的に無感情に無感動に、それ故に彼女は優秀だった。

 

結果、彼女は軍でも力を持つ女将軍の目に留まり、彼女の経歴により女将軍の殆ど私事といえる任務を受ける事になる、無論正式な命令としては出されたのだが。

 

彼女は嘗ての敵の所に護衛に一人として送り込まれるとき苦渋の記憶が甦り、僅かに渋い感情が沸き起こったがそれを否とすることは主張しなかった、それを主張するのも面倒臭かった、流されるのがその時の彼女のスタイルだったから、流されて生きるのが。

 

それが彼女メドーサ少尉のその頃の全てだった。

 

そうして彼女は横島を守る任務に就くことになる、彼女が孤独のサイクルから脱せられることは知りもしないで、そもそも自分が孤独のサイクルに入っているなどとは気付いてはいなかっただろうが。

 

 

 

 

 

彼女が横島の隠れ住む場所に行っても当初受け入れられるはずも無かった、少なくともフェレスとワルキューレにとって彼女は明確に敵対していた時期がある、特にフェレスは横島に近づく存在に対しては過敏過ぎるほど過敏になっている状態。

 

敵であった彼女が近づいてくるのを発見しただけで彼女は攻撃態勢に入ろうとしたほどだ、この頃のフェレスは横島に近づくことも出来ず、離れることも出来ず、横島のいる場所から離れたところで彼のいるところを眺めることが常だったから最初に発見したのも彼女だったのだが、彼女はメドーサが近づいただけで、鞭でメドーサに襲い掛かろうとした。

 

それを彼女は皮肉な笑みで命令書を突き出すことで何とか踏み止まらせたのだが、因みに襲い掛かろうとしたフェレスに対してとめたのはワルキューレだったりする。

 

逆にベスパとパピリオにしてみれば一応は元同僚、それなりに顔見知りだ、こちらに派遣された理由を知れば警戒はしても敵対姿勢は取らなかったし派遣主は信頼に足りた、それはワルキューレにとっても同じだったが。

 

彼女が警戒の目に晒されるのはいたし方が無いことだろう、嘗ての敵が仲間だと容易く受け入れられるのは少年漫画でも最近ではねた切れの話だ、敵は敵、その考えを改めるのは難しい、まして過敏になっている相手に対しては特に。

 

それにも彼女は別の皮肉な感情が沸いただけだったが、嘗ての敵が今じゃ仲間かい、と自嘲を篭めて、それに仲間っても私は邪魔者だよねえと。

 

玉藻はそもそも彼女の存在を知らない、ベスパの存在も知らなかったのだから当たり前だが、警戒を発しても敵とは認識しなかった、その意味では玉藻は一番彼女に対して何の感情も無く接せられた、その点で彼女がある意味で直ぐに受け入れられることになるのだが。

 

そして敵と彼女を害なすものと認めなかったのは、当の護衛対象、横島忠夫。

 

これには皆が驚き最も意外に感じたのは彼女自身だったのだけれど、事前にある程度の任務内容を聞かされた彼女は反応等予想していた、自分が恐れられると思っていたのだ、特に報告書にあった護衛対象に怯えられるのは当然としてここに来ていた。

 

怯えられるのは慣れているしねぇ、そう呟いて報告書を読んだものだった。

 

彼女が派遣された時何とかベスパと変化した玉藻だけが横島に近づき世話を出来る状態で彼女は何の警戒も与えず近寄ることが出来、彼女には激しい脅えの反応を見せなかった、嘗ての仲間こそが最大の恐怖の対象と成り果てていた横島にとっては嘗ての敵は恐怖の対象とは成り得なかった。

 

無論それは彼女の中にある微弱な横島の霊気が横島に自分に近いものと本能的に理解させたためでもあるのだが、これは彼女本人も知らないことだし、これからも判ることではないだろう。

 

それでもその時彼女の目に映ったのは部屋の隅の椅子に座り若干の脅えを見せる目でこちらを窺う視線、根源的な他者への恐怖は薄れたといっても消し去れるには時間が足りず、激しく脅えないだけで僅かな脅え払拭するには至らない。

 

恐怖に縛られた人間の姿。

 

嘗ての彼を知る彼女から見れば哀れに写り、フェレスが顔を見せたときの脅えようは、横島もフェレスも悲惨に写った、過去外道を繰り返した彼女の目から見ても、無論この時点では写っただけでそれに対する同情や感想は欠片も持ち合わせてはいなかったのだが。

 

この横島の状態はどれだけ下劣で外道で非道で非情な手段を取られたのか彼女には判ったのだから、彼女はここまでの外道ではないが外道の術は知っている。

 

人間にしろ、魔族にしろ、神族にしろ、壊す方法など似たようなもの、どれだけやれば意志持つ存在がどうなるかぐらいは理解しているどう壊していくのかも、壊れた果てにどうなるのかも、壊れさせる目的も、総て想像することは簡単に出来た、想像することだけならば簡単に出来た、どう壊れていくかも判っている、それがどれだけ狂ったことなのかも。

 

故にそれを成された人間に哀れの感情を見せ、横島に慕情を寄せるフェレスに対する横島の本能的行動は彼女の視点からも悲惨で哀れに過ぎた、それでもその時の彼女の感情はそれ程動いてはいなかった。

 

哀れには思うが、哀れ以上には思わない、悲惨には思うがそれに対して何かをしようとは思わない、只流されるまま任務をこなすこと、彼女は未だ自分の生きる意味なんてものは持ち合わせておらず、居場所も無かった。

 

何かをしてやろうという意思など浮かばずに命じられたことをこなすこと、彼女にはそれをすることだけがその時の彼女の全て。

 

ちっぽけな、流されるだけの軍隊という居場所しか持たない彼女の。

 

 

 

 

 

居場所が出来た。

 

任務をうけて暫く経って彼女に軍隊以外の居場所が出来た、少なくとも任務ではなくここにいたいといえるような感情は持てるようになった場所が、駒として以外に彼女にここにいて欲しいと言ってもらえる存在が。

 

そうなることが彼女の幸福なのかどうかは判らないが、誰かに求められるのは悪い気は彼女はしなかった、彼女は誰かに求められたことなど皆無に等しかったのだから、いつも彼女のいた場所は彼女など代用可能な駒にしか過ぎなかったのだから。

 

 

 

 

 

横島は彼女には直ぐに僅かな脅えも無くし、彼女が近くにいるのを厭わなくなった、彼女の前では落ち着いているし、ストレスが掛かっているようにも見えない、自殺衝動すら彼女の前では示さない。

 

そうなれば横島の近くに居るのは必然と彼女となる、パピリオや玉藻、ワルキューレでは脅えを見せ、ベスパでも僅かな脅えは取り払えない、フェレスなどは近寄りたくても近寄れない。

 

横島の安定と安全を考えるならばメドーサが殆ど付きっ切りになるのが望ましかった、この時点で一番恐れられていたのが横島が安定を欠いて自殺することだからなおのことだ。

 

其処まではやはり何時自害するか判らない横島は目を離せる存在ではなく常に誰かが傍に目の届くところにいる必要がある、だが横島に何のストレスも与えずに居れるのは、変化した玉藻ぐらいで、これは彼女にストレスを強いた。

 

自分の本当では彼に激しく脅えられるというのが痛いほど実感してしまうから、仮初の体は偽りなのだから、慕情を寄せる相手を欺き続けるのは彼女自身を欺き続けるのに等しかった、万能になっても玉藻はタマモ、それ程偽りを演じるほどに、気を寄せる相手を騙していることにそれ程の長い時間を耐えることは出来なかった。

 

次点ではベスパだが彼女とて横島に対する感情は複雑なものがある、それに横島本人に全くのストレスを与えない訳ではない、そして彼女の中に生じた僅かな慕情は姉への背徳感が彼女を苛み、彼女自身のストレスが強かった、自身への嫌悪から生じる不快感が。

 

つまりは誰も彼もがストレスを感じすぎるのだ。

 

その点で彼女はうってつけだった。

 

横島にストレスを与えず、精神状態的に横島に対する過度の思い入れが無い、無論しこりのような感情はあるが、そんなものは彼女にはどうでもいいことだった、過去のことなどどうでも良い、ただ言われたままに仕事をこなすと言う態度を貫く彼女にはストレスも差ほどではなかった、まったく無かったわけでもないが。

 

だが、敵対していた存在である彼女をそう易々と受け入れるだろうか。

 

 

 

 

 

以外にも頭を下げて彼女に頼み込む存在がいた、それは真摯な声で嘗ての敵に心の其処から慈悲を求めるような声で愛情の篭った声で懇願した、フェレスが彼女に頼み込んだ。

 

それは哀れな女の慈悲を求める懇願かもしれなかった、無力な自分の代わりに誰かに縋ろうとする行動かもしれなかった、故に真剣だった。

 

「あんたに私は恨みもあるしあんたにも私に恨みがあるでしょう、今更それを忘れるなんて出来ないしあんたにも忘れろなんて言わない。でも今は横島君の為にあんたが横島君の傍にいてあげて。悔しいけど私には何も出来ない、何もしてやれない、こうやってあんたに頭を下げるしか出来ない。でも横島君はあんたが必要、あんたがいてくれればまた笑ってくれるかもしれない。私に向けられないのは悔しいけど。アイツがまた笑ってくれればそれでいいから。メドーサ、お願いします、横島君を助けてあげてください」

 

フェレスは彼女の前で膝を付いて頭を下げた、彼女がここに来て数日後、彼女が傍に居る時横島が安定していると判った時、フェレスは人間だったころの尊大さも天邪鬼なところも捨て真摯に真剣に彼女に頭を下げた。

 

パピリオにもベスパにも玉藻にもワルキューレにも頼まれた、心の底から。

 

フェレスは嘗ての敵に最も横島を庇護している存在が彼女に任せる、信の置ける存在と認めて、信頼を置いて任せる頼み、それは彼女がここにいることが望まれた、いてもいい場所になる言葉。

 

駒でもなく、兵士でもなく、無機的な命令でもなく、居てくれ、居て欲しいと言われて存在できる場所、存在する意味が与えられる場所、ちっぽけな居場所でしかなかった軍隊ではなく、望まれて存在できる場所。

 

彼女の今までの生の中であったのだろうか、誰から真摯に頼まれていて欲しいと言われたことが。

 

確かにそれには横島の世話という理由はある、だが、他者に心から必要だと感じられる時代があったのだろうか。

 

魔に堕ち、戦いに明け暮れ、謀略に明け暮れ、魔界ですら元神族として居場所が無く、魔族としての居場所の為に戦い、貶める、居場所の為に戦い、存在理由の為に他者を貶め、命を刈り続ける。

 

そんな中に他人にここまで真摯に真剣に頼まれたことなど彼女には無い、彼女には無かった、それが哀れなのかは判らない、それが悲惨なのかは彼女が断じることだ。

 

だけど彼女はこの頼みで自分が流されず頼まれたから、頼みを聞いてやろうと思ったから横島の世話を熱心に行ったのは間違いない、彼女は嘗ての自分に辛酸を舐めさせた男にまるで恋人のように世話を焼いたのだ。

 

それは自分が居てもいいと望まれた場所、それが嘗ての敵だったとしても、自分が居てもいい場所、そして自分がいたいと思えるようになってきた場所を守る為の献身だったとしても、彼女は哀れで悲惨な横島のお陰で安寧を手に入れたのかもしれない。

 

 

 

 

 

それからの彼女の献身は度が行き過ぎたものがあっただろう、任務としては。

 

もう既に任務ではなく頼みになっていたから当たり前にことなのだろうけど、彼女は本当に健気で嘗ての女神の優しさを取り戻したかのように接した。

 

まるで姉のように母のように恋人のように妻のように家族のように優しさにあふれていた。

 

そして彼女にも、彼女が世話をする相手にも何の感情を持たなかった訳ではない、自分を怖がらないで受け入れてくれる、自分を特別視してくれる横島に悪い気のもちようが無い。

 

世話をするうちにおぼろげに表情が穏やかになるのに嬉しさを感じ。

 

その変化をフェレスに話すことで彼女が泣くことに共感し。

 

仲間と喜びを分かち合うことを知り。

 

稚拙ながらマトモな言葉を話し出したことに驚きを感じ、それが自分への感謝を表す言葉となれば涙がこみ上げるほどの悦びを彼女に与えた。

 

彼女の中でも横島は彼女の中心になった、どん底の自分を拾い上げてくれたのはこの壊れた横島、そんな相手に敵だった時の感情は持ち続けてはいられない。

 

彼女もまた淡い慕情を抱くようになり、それは彼女にとって久しい感情だっただろう。

 

彼女の抱いた欲望、慕情も欲望の類だろうから、庇護欲、母性欲、様々な愛を、友好を捧げる欲望、魔になって彼女が始めて真剣に抱いた他者に対する友愛の感情。

 

そして自分の前だけでも嘗ての様子の片鱗を出すころには彼女ははっきりと横島を愛していた。

 

だからこそ別の感情も宿ったのだろう、それは致し方ない。

 

自分の愛する対象が壊されることに何の感情も抱かない存在など居るわけが無い。

 

横島への思いが募るほど、憎しみが増す、怒りが増す、殺意がます、様々な不の感情がとぐろを巻いて暴れ狂う。

 

彼女は横島のお陰で居場所と暖かさを得た、だが同時に凄まじいまでの殺意も生じた。

 

それは嘗て無いほどにだがその殺意は理不尽に対する怒り正しい怒り。

 

誰が彼女の感情を否定する、理不尽に対する怒りを持って何が悪い。

 

 

 

 

 

そして日々募る生活の中、横島に絶対の安心を与えるために抱きしめ、次第に体を開き。

 

横島は女の心音を聞きながら眠りに付くことになる。

 

それを見つめる女の瞳は何処までも深く、何処までも澄んだ優しさに満ちていた。

 

だが見つめられる男は取り返しがつかないぐらいには壊れていたのだけど。

 

 

 


後書き、これにて改訂終了。

 

次からは改訂なしの未発表です。

予定としては魔界編が一に、挿話的な話が一、そして人間界話にと至ります。

 

改訂前よりも玉藻の力が上昇していたりする気もしますし、なんか陰鬱な雰囲気も濃くなっていますが、そろそろバイオレンス風味が濃くなってきます。

 

特に人間編に行くと。

 

それでは。


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