第一章【闇の風】―第一話『出会い、そして始まり。』
 
「趣味悪い・・・・」
 
 それが今回の依頼人に対して抱いた第一印象であった。更に言えば最後までこの印象は変わるどころか撤回すらも無く、問答無用で悪くなり続ける筈である。
 
 山手の高級住宅街に、鎮座している屋敷が一軒。周囲の事など完全に意識外に置いたとしか思えないそのデザインは、住人の正気を疑うのに充分すぎる代物である。
 ここまで悪趣味に徹すればいっそ見事と言えるだろう。
 
(帰りてぇ・・・・)
 
 彼は冗談抜きでそう考える。日本の住宅で壁を極彩色に塗りたくられた建築物なぞに仕事でなければ入りたいと思う人間がこの世に何人居るものか。しかもそれに住んでいるのだから狂っているとしか言いようが無い。
 ここは文明開化の発祥地であり、日本で始めてガス灯が灯り、アイスクリームなども販売された由緒正しい、お洒落で気品のある上品な街のはずだ。
 
(ここまで来れば反則以外のなんになるんだ? )
 
 屋根に飾られた金の鯱を見た瞬間、和麻の横浜に抱いていたイメージがガラガラと音を立てて一気に崩れ去った。
 依頼の仲介を受けた時に、住所だけでなく詳細な地図も受け取ったが、それが無くても住民に『この辺で一番悪趣味な家』と聞けばサルでも辿り着ける。
 
 目に入るのもおぞましい建築物―アレはすでに家とは呼べない―を眺め、和麻は溜息をついて空を見上げる。空は抜けるように青い。 
 
「仕方ない、仕事だしな。」
 
 自分に言い聞かせるように呟く。
 
 だがそんな和麻の格好も決して職業に相応しいものとは言えなかっただろう。
 ジーンズにスニーカー、チェックのシャツに黒いジャケット・・・22歳という年の若さと締りの無い表情・・・どこからどう見てもごく普通の大学生と変わらない気がする。
 
 完全に自分の事は棚に上げ、暫らく観察を続ける。
 
(闇が聞いてたより深い・・・霊視力の無い人間でも薄暗くは感じるだろうな・・・・やっぱ帰ろうかな・・・・)
 
 物凄く嫌な予感がし、和麻は9割ほど本気で考える。が、今の懐具合はかなり寂しく、日本に帰ってきてから始めての仕事をすっぽかしたら以後の生活にも大打撃を受けかねない。
 
(炎の精霊の気配 ? 神凪の術師か・・・・・それに・・・・・)
 
 屋敷内の二つの気配に和麻は直感的にそう思った。神凪の炎術師と神凪以外の炎術師・・・・。
 
「神凪以外の炎術師か・・・・仕事ついでに会ってみるのもいいかもな、うん。」
 
 まだ半分以上悩んではいたが、無意味に大きい正門の前に歩み寄る。
 呼び鈴の前に立ち、和麻はまだ逡巡していた。神凪以外の炎術師に会ってみたいという好奇心とここから逃げたいという思いが彼の中で戦っていたが・・・。
 
「八神様ですね、お待ちしておりました。」
 
 正門の横にある使用人用の通用口から一人のメイドが現れたことで和麻の迷いは一瞬で打ち砕かれる。
 
「どうぞこちらへ。」
 
 歩き出したメイドの小気味よく揺れる尻を眺めながら、和麻は依頼人の待つリビングに向かった。
 
 
(やっぱ、帰ってればよかったか・・・・)
 
 案内されたリビングに入った時、和麻は自分の選択を心底後悔した。
 そこには偉そうにふんぞり返った貧相な男―屋敷の主にして依頼人である坂本 某―だけでなく、よく知った顔の術者が二人いたのだ。和麻は片方の術者の顔を見た瞬間に思ったのである。
 
 和麻が見た瞬間に帰ればよかったと思ったほうの術者は、和麻を認めると一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに唇を歪め、蔑みに満ちた顔で睨めあげる。
 
「なんだ、3人目の術者とはお前だったのか、和麻・・・宗家の嫡子でありながら無能ゆえに追い出されたお前が、よくもまぁ術者などと名乗れたものだなぁ? 」
 
 多分に説明的な台詞なのは明らかに坂本氏に聞かせるためだろう。術者―神凪の分家の一つである結城家の末子、慎治は実に楽しそうに和麻を罵倒した。
 坂本は、慎治の期待通りの反応を示し、血相を変えて和麻に詰め寄る。
 
「どういうことだね ? 話が違うぞ。一流の霊能者だというから君を雇ったというのに。」
 
 和麻は冷静に―詰め寄られた分は後退しながら―答える。
 
「仲介人が何と言ったかは俺の知った事ではありませんよ・・・不服だと言うんなら俺は帰りますが? 」
「うむ、そうだな・・・・」
 
 坂本の目に小狡そうな光を見なければ和麻の勤労意欲は一気に0にはならなかっただろう。
 
「では、こうしたらどうかね ? 3人に除霊をして貰い、成功した者にのみ報酬を払おう。ああ、無論失敗しても前金は貰っておいて構わんよ。」
「いい考えですな。」
 
 ふざけているとしか言いようの無い言い草だったが、慎治は即座に了承し、もう一人の術者―七夜 小夜(ななや さよ)―は興味が無いとでも言いたげに窓の外を眺めていた。それを了承と取った慎治は馬鹿にしきった顔つきで和麻に問う。
 
「お前はどうするんだ? 」
「俺は降りる。」
 
 和麻は即答し、二人の侮蔑の視線にも眉一筋動かさない。
 
「ふん、腰抜けが、そこで指をくわえてみてるがいい。炎術の手本を見せてやるよ。」
「・・・・・・手本ね、たかだか神凪の分家ごときの分際で・・・・・」
「なっ貴様ぁ!」
 
 小夜に侮辱の言葉を掛けられ、慎治は依頼人の前だということも忘れて拳を固めて殴りかかる。
 
「・・・んっ・・・」
 
 小夜は慎治の繰り出した拳を左に少し動いてかわす。
 慎治は右の突きがかわされた瞬間、腰の回転を殺さずに運動エネルギーを左足に移し、その反動で左足を跳ね上げ、小夜の死角から後ろ回し蹴りでこめかみを狙う。
 
(とった!)
 
 慎治はそう思ったが、小夜は軽く頭を反らしてかわし、蹴り足が過ぎ去った空間にごく自然に入り込み、軽く慎治の軸足を払う。まだ左足が宙に浮いたままの慎治は、自身の回転運動の力で、激しく床に叩きつけられる。
 
「ちっ、くそっ」
 
 慎治はかろうじて受身を取り、素早く立ち上がり、性懲りも無く攻撃を仕掛けようとして身構える。
 
「お前、体術でそいつに勝てるつもりだったのか? 俺にすらも敵わなかったくせに、勝てるわけねぇだろ。」
「だっ黙れっ」
 
 和麻は聞き分けの無い子供に対するように淡々と諭す。お前じゃまず無理と言いたげな和麻の口調と蔑んだ視線に慎治の理性は音を立てて切れる。
 
「そこまでにしてもらおうか。」
 
 今にも第二ラウンドが始まりそうな雰囲気の中に不意に掛かる静止の声・・・三人は一斉に声の主、坂本のほうに目を向ける。坂本は注目を集めたことに満足そうな表情を浮かべ、大物ぶった口調でたしなめる。
 
「君達をここに呼んだのは試合をしてもらうためじゃない。この部屋の調度品はどれ一つとっても君らに払う報酬より高いんだよ。乱暴な真似はつつしんでもらいたいね。」
 
 いきなり金の話をする辺りが下衆だった。本人は自分の財力を誇っているつもりなのだろうが、聞く側から言わせれば成金臭さが鼻につくばかりである。
 
(やっぱ帰ろっかな・・・前金は貰ってる事だし・・・)
 
 際限なく高まり続ける不快指数に、和麻の勤労意欲はついにマイナスにまで低下した。この場にいること自体が苦痛に思えてきた。
 
「ん・・・?」
 
 だが、なんの前触れも無く収束を始めた妖気が、新たな展開を告げる。
 
「―来たか。」
 
 屋敷中に拡散していた妖気が、リビングの一点で焦点を結び始める。和麻と小夜はさりげなく移動し、自分達の間に坂本と慎治を挟む位置に立つ。
 
「何だと? 何が・・・・・」
 
 和麻に遅れること十秒以上、妖気が黒く濁り出した瞬間に至ってようやく慎治も気付く。
 
「むう、出たかっ。」
「な、何だね? どうしたんだ? 」
 
 突然の緊迫した雰囲気に耐え切れずに、坂本は上擦った声で喚いた。既に術を行使するための集中を始めた慎治に代わり、和麻が答える。
 
「お仕事の時間だよ、あんたに取り憑いてた『悪霊』とやらのお出ましだ。」
 
 適当に解説しながら、和麻は尋常でない違和感を感じていた。
 
(悪霊にしちゃ力が強すぎる・・・・ハメられたか? まぁいいか、手並み拝見といこうか)
 
 和麻は壁にもたれかかり、腕組みをして見物に回る。
 
 
 『悪霊』の出現に備えて、慎治は精神を集中していた。
 出現した瞬間に焼き払うつもりらしく、その表情には余裕が窺える。和麻は忠告してやる義務も義理も無いので、忠告はせずにただ静観していた。
 
 不意に、前方の空間が黒く澱む。慎治は胸の前で透明なボールを構えるように、両掌を向き合わせる。テニスボールぐらいの小さな炎が掌の間に宿る。
 
(やはり、神凪などあの程度か・・・・)
 
 小夜は明らかに落胆した表情で溜息をつく。そして、和麻に視線を移し、問い掛ける。
 
「和麻、なぜ戻ってきた? ここには彼方の居場所は無かったはずだが?」
「・・・・・なんとなくだな、俺が日本に戻ってきたかったから帰って来た。それだけだ。」
 
 和麻は出現した妖魔のほうに視線を据えたまま答える。本当は別の目的があったのだが、ここでは伏せておいた。変に勘ぐられても困る。
 
「そうか・・・・」
 
 それきり小夜は口をつぐみ、妖魔のほうに視線を戻す。丁度慎治が跳ね返された炎で黒焦げになっているところであった。
 
 
 神凪一族は、火炎を自在に操る『炎術師』の中でも無道の次に最強だと目される一族である。
 
 単に力が強大なだけではなく、一族の血に宿る特殊能力にこそ、その由縁がある。彼らの操る炎は、単なる分子運動によっての物理的な現象ではなく、無道と同じく不浄を焼き払い、清める破邪の秘力を有しているのだ。
 
 この『浄化の炎』により、神凪や無道の術者は妖魔邪霊、あらゆる法に背く存在に対して絶対的な優位に立つことができる。だが、それが血筋に依る能力である以上、血が薄れていくほどに能力が低下することもまた、必然である。
 
 既に、神凪の分家の術者が最高位の『黄金』を失って久しい。炎の属性を有する妖魔が相手ならば、放った炎を打ち消されたり、吸収されることもあり得るのだ。
 例えば、今回のように―――
 
 
 居間は煉獄と化していた。高価な家具も、毛足の長い絨毯も既に炭化している。天井に吊るされた派手なシャンデリアは、ガラスが溶けて不気味なオブジェに変貌していた。
 
「死んだかな。」
 
 和麻は涼しげな顔で呟く。小夜がジト目で睨んでくるが、それは無視した。清涼な風が和麻と小夜を取り巻き、荒れ狂う炎が近づくことさえ許さない。熱も遮断しているらしく、汗ひとつかいていない。
 
「た、助けて・・・・」
 
 弱々しい声が聞こえ、和麻と小夜は足元の黒っぽい物体に目をやった。
 悲鳴と共に結界に転がり込んで来たのは、元依頼人の坂本だった。あちこち焦げてはいるが、死にそうな様子はない。
 
「ああっ、た、助けてくれっ。」
 
 坂本は叫びながら、和麻の脚に縋りつこうとする。だが和麻は、無常にも蹴り飛ばした。
 
 がすっ!
 
 更に容赦なく、苦痛にのたうち回っている坂本の頭を踏みつける。
 スリッパ越しにでも触れるのが嫌だったので、踏むというよりも踵を打ち下ろすような形になった。頭蓋骨が軋む音が聞こえた気がしたが、大した問題ではない。少なくとも和麻達には・・・・。
 
 和麻はぐりぐりと坂本の頭を踏み躙り、きっぱりと言い切った。
 
「依頼人でもない中年を助ける趣味はないんでね。」
「お、お金なら払います。倍出しますから、どうか・・・・・」
「倍? あんたの命ってたったの百万? 随分安いんだな。」
 
 和麻は懐からタバコを取り出し、すっと先端だけを結界の外側にさらして火をつける。紫煙を肺に満たし、ゆっくりと吐き出す。
 
 坂本のほうは、のんびりしている余裕はなかった。故意か偶然か、坂本の周りだけ結界に穴があき、炎の舌が舐め始める。
 
「熱っ、ひっ、ひぃ、助けて、一千万出しますから。」
 
 その言葉を聞いて和麻は笑顔を浮かべながら言う。
 
「もう一声、せめてもう一千万出してもらいたいな。」
 
 和麻の言動に今まで静観していた小夜は口を開くが、和麻に手で制され、押し黙る。その目には軽蔑の眼差しが浮かんでいた。
 和麻はそんな視線を無視して言葉を続ける。
 
「早くしねぇと全部燃えちまうぜ? あんたも焼け死んじまうことになる。俺達は大丈夫だけどな。」
「わ、わかりました。に、二千五百万出しますから。」
「まいどー。」
 
 ぼろい契約を結んだ悪魔のような笑みを浮かべたまま、タバコを投げ捨てる。
 
「さて、と。じゃあ、お引取り願おう。」
 
 坂本を結界内に蹴り転がし、和麻は当然のように宣告する。
 
「邪魔だな。」
 
 ぽつりと呟き、右手を横薙ぎに振るう。その手に押し出されるように、荒れ狂っていた炎がまとめて窓の外に放り出される。
 
 吐き出された炎は庭の草木に燃え移ることなく、散り散りになって霧散していく。
 そして室内には、妖魔の本体だけが残った。
 
 ひゅおぅっ
 
 消え去った炎の代わりに、風が室内を荒れ狂う。和麻は静かに佇んでいるだけだ。ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、指一本動かさない。それでも風は和麻の意に従い、炎を削り去っていく。
 
 それからは既に戦いといえるものではなかった。
 和麻の圧倒的な力の前に、妖魔は抵抗すらできずに切り裂かれていくのみ・・・・身動きひとつ取れずに、消滅の時を待つほかない。
 
「これで。」
 
 和麻がゆっくりと右手をあげる。その手に集った精霊の数と密度に、小夜は感嘆の意を感じた。
 まさかここまでやれるとは・・・・やはり和麻は凄い男だと・・・・再認識する。
 
「終わりだ! 」
 
 上げた時の十倍の速さで右手を振り下ろす。その延長線上に伸びた不可視の刃は、空気分子すらも切り分けながら、妖魔を両断する。
 妖魔は音もなく、霊子の欠片すらも残さずにこの世から消滅する。
 
 
「終ったぜ。」
 
 和麻は床に寝転がったまま呆然としている坂本に告げる。
 
「金は三日以内に振り込んどけ。でないとこの世に生まれてきたことを後悔することになるぞ。」
 
 完全に脅しであった。間違っても客に対する言い方ではない。
 しかし、坂本は和麻に逆らうことの恐ろしさを思い知ったのか、文句を言おうとはしなかった。
 
「う、うむ、分かった。だが、結城君には悪いことをしたな。こんな大事になるとは思ってもみなかったよ。」
 
 和麻は無言で、慎治の成れの果てらしい消し炭へと近づき、思いっきり踏みつけた。これにはさすがの坂本も声を荒げる。
 
「な、何をするんだ!? 君たちの間で何があったかは知らないが、死体を辱めることはないだろう!? 」
「うんにゃ、こいつは死んでねぇよ。よく見てろ。」
 
 そう吐き捨てると、和麻は何度も繰り返し踏みつける。
 すると表面を覆っていた炭が剥がれ落ち、ほとんど火傷もしていない肌が現れた。
 
「こ、これは・・・・・・・・」
 
 坂本は信じられない光景に目を疑った。そんな坂本に小夜が解説する。
 
「無道や神凪の術者はみな、炎の精霊の加護を受けているんです。そのためにこの程度の炎では分家といえどまず死ぬ事はありません。」
「そうゆうこと。」
 
 その後二人は唇を歪めて付け足す。
 
「「俺は(私は)例外だがな(ですが)。」」
 
「う・・・・ぐ・・・・・・」
 
 そうしている内に、慎治が目を覚ました。周囲を見渡して、既に妖魔が滅んだことを確認する。
 
「お前がやったのか? 」
「見てた通りだよ。」
 
 ぬけぬけと何言ってやがる――和麻はそんな口調で答えた。意識を保っていたことを見抜かれ、慎治は慌てて釈明する。
 
「気づいていたのか・・・・・・。だが、さぼった訳じゃないぞ。本当に動けなかったんだ。」
「言い訳なんて聞いてないがな。」
 
 和麻は冷たく言い捨て、背中を向けて部屋を出て行こうとする。慎治は迷わず立ち去ろうとする後ろ姿に声を掛ける。まだ聞かなければならないことがある。
 
「何故戻ってきた? 」
「なんとなくだよ。」
 
 とぼけた返事に、はぐらかされたと思った慎治の視線が険しくなる。
 
「『なんとなく』だと? それで長老がたが納得すると思っているのか。」
「言っとくが、俺は勘当されただけで、国外追放を命じられたわけじゃない。どこにいようと俺の勝手だろ? 」
「・・・・・何を企んでる? 」
「特に何も? 」
 
 和麻は簡潔に答え、肩をすくめる。
 
「・・・神凪に戻ってくるのか? 」
「馬鹿を言うな、死んでも嫌だね。小夜、行こうぜ。」
 
 吐き捨てるように答えると、今度こそ迷わずに歩き去る。小夜は一礼すると、和麻の後を追って部屋から出て行った。
 
(一刻も早く、宗主にお伝えせねば・・・・・・)
 
 この時の慎治の不安は、ある意味では的中していた。神凪一族を中心とした戦いは、今この瞬間から始まったのだ。
 
 
 
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