戯言日和

 

第三話戯言遣いとVS奴隷少女

 

目を開けると、ベッドの脇に崩子ちゃんが、居た。

黒いワンピース姿が闇に溶けているようで、白い肌は闇に浮かんでいるようだった。

「お兄ちゃん」と、彼女は僕に声を掛けた「起きていますね」

確認ではなく確信の言葉。

「起きているなら薄目を開けて、私を見てください」

見抜かれている?

「何時までとぼける心算ですか? お兄ちゃん」

「さて、何のことやら」僕は崩子ちゃんを無視して目を閉じる。

どうしたものだろうか、もう、誤魔化せるのも限界が近いみたいだけど……。

「崩子ちゃん。眠るから、出て行ってくれない」

「出て行きません」

「眠いんだけど」

「知りません」

「崩……」

「黙りなさい」命令形だった、珍しい。

「お兄ちゃんのそういう所は相変わらずですね。相も変わらず結論は先延ばしですか?」

「……崩子ちゃんも強情だよね」

「お兄ちゃんには適いません。自分を零としか思えないと思い込んでいたお兄ちゃんより強情だった人なんて、私はこの世の端から端まで見渡しても見つけることは出来ないと確信しています。人類最強のお姉さんに勝てる要素ですよ」

「そうかな」「そうです」間髪の間もなく言い切られてしまった。

「あと、お兄ちゃん。目を瞑っていてもしようがありませんので目を開けませんか」是非もなし、これ以上眠ることは許されることでもないだろう。

目を開けると美少女から美女への中間に居そうな美人が相変わらず僕を見ていた。

「ねぇ、崩子ちゃん?」

「何ですかおにいちゃん」

「今朝のことは本気?」

「どうやらお兄ちゃんは一度死んだほうがいいようですね。奴隷として主人の自殺に付き合うのは吝かではありませんよ」

「……」

「あのようなことを私が、ただの気紛れで口にすると思っているのですか。戯言遣いのお兄ちゃん」

思ってはいなかった、欠片一つの疑いなく、それだけは自分に確信できることだった。

だから故に。

「僕は駄目な奴だよ」

「知っていますよ。そんなこと」

「ろくでもない人間だ」

「それも知っています。最近マシに為っていることも含めて私は知っています」

「それでもたいした奴じゃない」

「それはお兄ちゃんが決めることではありません。私が決めることですよ。お兄ちゃんが大した奴であるかないかだなんて、そんなことお兄ちゃんの一存で決めていいことではありません」

「みいこさんにも告白したし」

「見事にみい姉さまには振られましたね」

「……………」

 どうやら詳細を知っているらしい。

「それで、それが今のお話に関連のあることですか」

「無いけどさ」

「戯言はやめましょうねお兄ちゃん。私は乗せられませんよ」

「崩子ちゃんが不幸になる」

「私は今まで幸福でした」

 僕を睨みつけて。

「それともお兄ちゃんは私が不幸に喘いでいるように見えていましたか。それならば、それは侮辱です。許せない侮辱です。私の時間を侮辱する侮辱です」

「御免」

「謝るのなら口にしないでください。誤るのなら直してください――あと、一つお兄ちゃんに忠告です。もう一度目をつぶることがありましたら容赦なく潰しますよ」

何処を? いや、聞いちゃいけないんだろうけど。

「戯言を使って逃げようとすることも許しません。お兄ちゃんに望むのは一つの選択だけです。二者択一。お兄ちゃんが一番苦手とするものなのでしょうが。苦手であるが故に戯言では逃げられない。そう確信して私はお兄ちゃんの返答を期待します」

戯言遣いの戯言を封じ。選択。選択のみを迫るのならば言葉は要らない。戯言は介入する余地は無い。戯言なんて所詮そんなものだ。本当の意思の前には何も無い。

「どちらの答えでも、私はお兄ちゃんを恨みません。傷つくのが怖いのならば、私を傷つけるのが怖いのならば私は傷つきません。お兄ちゃんの望むがままに、私はあり続けます」

 崩子ちゃんは笑って。

「だから、気にしないで下さい。傷つけるかもしれないというどうでもいい懸念を捨ててください。私はそんな傷なんて傷だとも思えないくらいには強いのですよ」

「僕は玖渚のことが大好きだよ。唯一無二に愛しているし、あいつと離れるなんて可能性は絶無を通り越して虚無の域だ。僕は劣性を捨てた玖渚と共に生きていくのを決めている」

「知っています」

 崩子ちゃんは艶笑って。

「それでも、嫌な言い方ですが。お兄ちゃんの欲情を玖渚のお姉さんが癒すことは出来ません。そしてお兄ちゃんは聖人君子でもありません。お兄ちゃんはただの男です」

それは、そうだった。今の、そしてこれからの玖渚の体はそんな負担に耐えられるようには出来ていない。出産どころか性交にすら耐えられない。結婚は出来ても、子供を作ることは、母体として玖渚の体を用いて行うことは不可能だ。

現行の技術として他人の母体を借りて出産するしか子供を持つ術は無い。

そんなことは判っている。

そんなことは判っていた。

しかし、最近の玖渚がそのことを気に病んでいることは事実だった。

己の劣等が赦せない。

劣勢は認められても、劣等が許せない。劣等を他人に担わせるのが許せない。

平凡に為ったが故に顕著になったハンデが彼女を責め苛んでいる。

そんなことを玖渚は言葉にしたことは無かったけれど。

そんなことを玖渚は態度に表したことは無かったけれど。

それでも、そんなことは伝わってしまうものだ。

そんなことは伝わってしまうような仲なのだ。

「そして、私は先日玖渚のお姉さんに頼まれました」

それは……訊くまでもないことだろう。

「お兄ちゃんの情欲を闇口として癒してあげて欲しい。そんなニュアンスでした。決して愛人であってほしいとも、譲るとも仰られませんでしたが。奴隷としてならお兄ちゃんを癒してあげてほしいとお願いされました」

玖渚も僕を離さないというつもりだろうか、愛人でも譲るとでも表現しなかったのは、玖渚なりの僕に対する矜持なのだろうか。

「お兄ちゃんは愛されていますね」

崩子ちゃんはまるで妬む様な、嫉む様な声で言った。

「本当に壊したいくらいに愛されていますね」

その声には何の抑揚も無くて。

「それでも、私もお兄ちゃんを同じくらい愛していると思います」

頭を振って。

「いえ、私はもっとお兄ちゃんを愛することが出来ます」

「それは較べられるものじゃないよね」

「そうですね。でも較べたがるのが人情でしょう」

崩子ちゃんは微笑んで。

「だから憎みます。選ばれなかった、選ぶ前提に入っていなかった、出会う順番が違った、出会ってからの自分を。ですが、その程度は然程のことでもありません」

淡々と。

「それは生きていれば掃いて捨てるほど当たり前に転がっていることです」

言った。

「あのさ、玖渚は他に何か言っていたかい?」

「惨めったらしくも生き残っちゃったから。僕様ちゃんはいーちゃんと一緒にいるよ。でもいーちゃんはみんな大嫌いっていう癖にみんな大好きって思っている、昔っからそんな取るに足らない戯言を使うから。そんないーちゃんが大好きだから。だから僕様ちゃんと同じくらいいーちゃんのことが大好きなら、いーちゃんは選べなくなるよ。僕様ちゃんなんかを選んじゃったけど。多分、選べない。だから、僕様ちゃんが選ぶ。僕様ちゃんの独善だけど、身勝手だけど、いーちゃんにとったら迷惑極まりないことだけど。殺し名二位闇口に玖渚機関筆頭玖渚家党首血族玖渚友がお願いするよ。いーちゃんの奴隷でいてあげて」

言葉の調子だけ玖渚で声の性質は崩子ちゃんのままのその言葉。

「それに、何て答えたの」

「――謂われるまでも無く――それだけを」

「そっか」

「だから、私は玖渚のお姉さんが妬ましく嫉みます。これじゃ、私が負け犬みたいです。私が恋敵に背中を押されたようなものです。敵に塩を贈られたような。勝利者です」

結局、何時まで経っても僕は玖渚の手のひらの上なのかもしれない。誕生日の日付的には、玖渚は姉さん女房に当たるわけだが、年度的には同年なんだけど、尻に敷かれている。

「だから、お兄ちゃんの答えだけです」

「うにー」玖渚の口真似。

「どちらを答えても私が奴隷であることは変わりません。ただ接し方が今までどおりか、それとも違うものになってしまうのか、それだけです」

ノーリアクション。

「辛くない」

「辛くありません」

崩子ちゃんは小さな手を握り締めて言った。

「僕は辛いよ」

「そうですか」

「そうですよ」

「そうなのか」

「そうなのです」

「そっか」

「……」

「僕は傷つくのも傷つけるのも嫌いだ」

「知っています」

「僕がいるだけですべてを狂わせると言った少女がいた」

「そうですか」

「彼女は死んだけど。その言葉は覚えている、その言葉どおり死んだようなものだったから尚の事。そして僕に関わったから、萌太君は死んだ。崩子ちゃんは自分の手で突き落としたと悔やんでいたけれど。僕が殺したようなものだ。僕の存在はもう既に崩子ちゃんを狂わしている」

「それは違います」

「違わないよ。何時も何時も申し訳ないと思っていた。同情したのは本当だったけど、申し訳ないから崩子ちゃんを離さなかったんだ。自分の傷を忘れないために」

「なら、忘れないでください」

崩子ちゃんは。

「それに違わないのなら狂った今のほうが幸福です、萌太を失いましたが、較べられるものではないですが。それでお兄ちゃんを捕まえられるのなら幸福です」

崩子ちゃんは寝ている姿勢の僕の頭を抱えた。

「ねぇ、お兄ちゃん。答えを聞かせてください」

「あのさ、二十歳まで待つんじゃなかったのかな」

「前言撤回です」

「結構いい加減だね」

「私にも我慢の限界というものがあるのです。理性の我慢はどうとでもなりますが体の我慢はどうともなりません。前はそんなことを知らない小娘でしたが。私にも情欲はあるのです」

「結構エッチだったんだね」

「そうですね」

「認めるんだ」

「主に虚言は言えません」

「そっか」

僕は1拍を置いて。

「僕はしつこいよ」

「それは、了解ととっていいですか?」

「玖渚と生涯を遂げるのは変わらないよ」

「ええ」

「崩子ちゃんは一生日陰者になる」

「元々が奴隷です。卑しい一族ですよ」

「それが嫌だったんじゃないの」

「そうですね。それが嫌でした」

「それなのに」

「三つ子の魂百までですよ」

「それでいいの?」

「しつこいですね」

「しつこいって言ったよ」

「いいですよ。お兄ちゃんの子は私が産むのです。お兄ちゃんの妻にはなれませんが。お兄ちゃんの子の母にはなれるんですよ、私は」

 

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