戯言遣いと暗殺者の一幕
何の音かは知らないけれど目を覚ました。
ぼうっとする頭は働いてくれない、段々明瞭に為ってくる、ぼやけた視界のピントがあってはっきりとした映像が網膜に映る。
目線をあげて壁に掛けている時計を確認する。
午前七時。
世間様では起きるのが当たり前の時間ではあるが世間様に真っ向に喧嘩を売っている生活習慣を獲得している僕から言わせてもらえば早すぎる。
何で目覚めたんだろうと自問するが答えはない。
音が聞こえた気もするけれど、その音も今は聞こえない。
考えているうちに、ぼうっとする。
こんなに早く目覚めることはないから何をしていいのか判らない。
今日は予定もない。
仕事も、昨日の内に終わってしまっている、それなりに感慨深いものがある仕事だったけど、終わった仕事、もう予定のうちじゃあない。
もう一度眠ろうかとも考えるが眠れそうな気もしない。
眠れないのに横になっているのも苦痛なので起きる事にする。
「お早う御座います。お兄ちゃん」
ベッドから体を起こすと目の前に崩子ちゃんがいた。
時計を見上げた時には誰も居なかった筈なんだけど。
「………」
「お早う御座います。朝食の用意は出来ていますよ。お兄ちゃん」
黒いワンピースにフリルのついたエプロン、おかっぱの頭にカチューシャを付けた崩子ちゃんがいた。
如何にもメイドと形容できそうな風貌と仕草だが、しかし、なんだか、何時もの崩子ちゃんの冷然とした佇まいじゃなくておどおどとした様な、何も言わずに見据える僕を伺うような表情だ。
どうやら僕が目を覚ましたのは崩子ちゃんの入ってきた音だったのかもしれない。
恐るべき身体技能を誇る崩子ちゃんだけど、それほど音を消そうと意識していなかったら僕が気づくということもあるだろう。
「お早う御座います。お兄ちゃん。今日のお仕事は何時からでしょう」
僕が何も言わないので三度同じような挨拶をする崩子ちゃん。
もう一度崩子ちゃんの衣装を眺める、・・・・・うん、立派なメイドさんだ、彼女達には及ぶべくもないがメイドルックになっただけの崩子ちゃんなら及第点だろう。
はて、何で崩子ちゃんはメイド服をきているのだろう。
「お早う、崩子ちゃん。可愛らしい格好だけど。その衣装は誰に薦められたんだい?」
問うている間に僕自身がその誰かをある程度決め付けて、候補は三人ほど。
「昨夜まで遊びに来ていた。春日井春日のお姉さんに――」
どうやら危険人物筆頭がヒットしたようだ。
「あの戯言遣いは恐るべきメイドマニアだからこの衣装で朝起こしてあげたら君の望みどおりの行動をとってくれるよ、と」
またしても、…誰がメイドマニアか、僕の名誉を程よく傷つけることに喜びを見出すサディストが。
「あの女ぁ…」
「どうしましたか、お兄ちゃん」
いつも僕のいない内に、復讐のつもりだろうか。
二ヶ月前にイリアさんの依頼で逃げ出した烏の濡れ羽島に強制送還したことを恨んで……なんで昨日の時点で崩子ちゃんにいらない入れ知恵が出来たのだろう、いや、崩子ちゃんのメイドルックは可愛らしいのでそれはそれで問題はないのだが。
まぁ、仕事が終わった後で次の仕事の目処は立ったわけだ。
商売繁盛を喜んでいいのか、それとも不毛な連鎖になりそうな予感に嘆いていいのかちょっぴり疑問だけど。
「ねぇ、崩子ちゃん。春日井さんがどこに行ったか聴いているかい」
「確か三好心視と呼ばれる学者のところに身を寄せると聞いていますが。今のところお兄ちゃんの指示がなかったので拘束はしないでおきましたが―――後、今回は春日井春日のお姉さんは島から浮き輪一つで漂流を挑んだ模様です。流されて
相変わらずアグレッシブな、というか肉体派、以前も
それにしても嫌な所に逃げ込んでくれる、イリアさんに通報したらそれだけで成功報酬は……無理だろう、まぁ久々に先生に顔を出すのも悪くないのかもしれない。
「で、崩子ちゃん。崩子ちゃんにとっての僕の望みどおりの行動を僕は取ったのかな」
「いいえ」
「……」
即答だった、先ほどまでの不安な様子など微塵も無い即答、間髪入れず。
「戯言遣いのお兄ちゃんに期待していた行動は欠片も。そのことに付いて精神的な負荷が許容範囲を超えて掛かっていますので速やかに発散しようかと思いますが、いかがですか」
「物凄く理不尽に感じるのは僕だけかな」
「いえ、私も理不尽を感じていますので」
と、崩子ちゃんはベッドから起きて立っている僕にローキックを一発入れてくれた、なかなか鋭いキックで大ダメージ。
「それではコーヒーなどをいれますので。お兄ちゃんは隣の部屋に着替えてからきてください」
……なんだろう、やっぱり年頃の女の子の扱いは難しいってことだろうか。
不機嫌だなぁ、昨日帰ってきた時に迎えてくれた時は上機嫌だったのに、メイド服のことをほめなかったから悪かったのだろうか。
もう、二年以上共同生活を続けているけれどやっぱりあの年頃の女の子のことは意味不明だ。
うん、僕は相手の年齢によって理解できていただろうか。
あの赤色、多いの、お姉さん、看護士さん・・・・・・・・・・・。
年齢を問わず女性はやっぱり意味が判らない。
椅子に変えてあるシャツを着てデニムのパンツをはいて崩子ちゃんの用意した食卓に。
ローティーンを数えたあたりから親元を離れて生活している崩子ちゃんの自炊技能は中々のものだ。
ご飯に味噌汁、焼き鮭に漬物、収入が安定しだしたのでそれなりの朝ごはんが並んでいる、一時期は、崩子ちゃんを引き取ったあたりではそれなりに生活が厳しい状態になりそうだったけど持ち直した。
その美味しそうな朝食を前にして僕は思案する。
さて、機嫌を悪くした崩子ちゃんの対応はどうしたものだろう。
こうして味噌汁をよそってくれている崩子ちゃんだけど決して微笑んでいない、表情が乏しい子だけれど付き合いの長さで彼女の微細な表情の変化にも対応できるようになってしまった。
怒っているのとは違うのだけど、怒っていないから逆に難しい。
僕としては崩子ちゃんのような可愛い女の子には上機嫌に食事を共にしたいわけで。
勿論、双方共に。
「どうしました。お兄ちゃん。ご飯が冷めますので座ってください」
「うん、美味しそうだね。――それに今日は可愛らしいし、僥倖、僥倖」
取りあえず、言いそびれた事を言ってみる事にした。
唐突だけど、
脈絡が無いけど、
まぁ、いいだろう。
お箸を取って、崩子ちゃんの表情を伺う。
崩子ちゃんは僕と同じように席に付いて、ぼうっと僕のほうを見ている。
睨まれているわけではないけど少し怖い。
味噌汁を一口、起き抜けに胃に通した暖かい液体が僅かに残った眠気を吹き飛ばしてくれる、味付けは此処で覚えたから京都風だけど、僕もこだわりは無いから美味しく頂ける。
うん、美味しい。
炊立てで熱すぎるぐらいのご飯も、程よく火の通った鮭も、みいこさんのお手製らしい漬物も、それにもう何年か続いていることだけど、誰かと食卓を共にするということも悪くない、誰かと食事をすることで味わいが変わるなんて二年前では夢にも思わなかったことに違いない。
一通り箸をつけて顔を上げると、味噌汁を口に運んでいた崩子ちゃんと目が合った。
こともなげに、
「どうですか、お兄ちゃん」
料理の味を問うてきた、余り自分の仕事の出来栄えを聴いてくることは無かったんだけど。
寧ろ率先して僕から話していたから聴く必要が無かっただけかもしれない。
「うん、美味しい」
どうやら機嫌を直してくれたようだった。
そして食事が再開。
ご機嫌になった崩子ちゃんの微妙に変化した表情と共に食べる朝食は胃にも優しい。
「それにしても、お兄ちゃんは。変わりませんね」
唐突に、
「色々二年前から変わったと思っていたのですが、戯言遣いのお兄ちゃん、本質は変わっていませんね」
本当に唐突に、
「二年間、考えると三年程の付き合いになりますが。お兄ちゃんは本当に変わっていません。色々変わったのでしょうが、色々変わっていません。変わってしまったのは私なのでしょう」
崩子ちゃんが微笑んで言った。
その言葉に僕は少しいぶかしんで、
少し戸惑った。
「どうしたの、崩子ちゃん」
「いえ、特に何もありませんけど。そうですね、唐突にそう思っただけです」
そこで、崩子ちゃんはお茶を一啜り、表面には覚悟の文字が書かれている、確か哀川さんのお土産だったか、確か崩子ちゃんと同居していることを話したら送ってくれた一品だった。
僕のほうには墓場とプリントされていたけど。
何が覚悟で、何が墓場なのだろう、ニヤニヤ笑って答えてはくれなかった。
何だったのだろう。
「ただ、久々に一週間ほど離れて生活をしてみてお兄ちゃんの存在を考える機会がありましたので。ちょっと三年ほど振り返ってみただけです」
僕も食べ終わって、くだんの湯飲みでお茶を啜りつつ。
「お兄ちゃんに仕えている私ではなく、あの双子を連れて行った辺りで恨み千万、業腹ものだったのですが。帰ってきたら主従の誓いに抵触しますが兄妹の様にと言ってくれたおにいちゃんの手前、兄妹として当たり前程度の暴力沙汰でも引き起こそうと考えていたのですが」
そんなことを考えていたらしい。
崩子ちゃんの暴力、それこそ本気など過去一度しかお目にかかったことがないけれど、恐らく絶対にこれから死ぬまで彼女がその力を振るえることなどありはしないのだろうけど、怖い。
今度から仕事の人選は考えたほうがいいかもしれない。
でも今回の仕事は崩子ちゃんには不向きだったし。
みいこさんでも駄目。
零崎あたりならスペック的に問題は無いのかもしれないけど、行方知れずだし、その程度のことで再会したい相手でもない。
そんなことを考えていたんですが、崩子ちゃんは続ける。
「一週間はそれなりに長かったようです。春日井さんや魔女のお姉さん、みい姉さまと楽しく過ごしてはいましたが。考える時間は十二分にありました。当たり前のように居たお兄ちゃんが居ないということは普段と違う考えを巡らすには十分な機会でした」
何となく、家を空けた僕を糾弾されている感じがしないでもないが、そんな話ではないのだろう。
「何で、お兄ちゃんは今も私と居てくれるんですか?そんな疑問が生じました。それで春日井さんの口車に乗ってお兄ちゃんに望んだことをしてもらうことを促したわけですが。失敗だったようです」
その問いは、正直以外だった、問いかけられたのが意外だったのか、それに気づいて言葉に出した行為自体が意外だったのか。
驚いている僕に崩子ちゃんの言葉は続く。
「お兄ちゃんは二年前にみい姉さまにプロポーズなされたでしょう。身の程を知らないお兄ちゃんはものの見事に玉砕されましたが。正直当事は心の中でガッツポーズをとったものですが」
そんなことしていたんだ。
「それでも玖渚のお姉さんとは婚約しているのでしょう。病気のほうも良くなったのでしょう。それなのに何故まだ私と一緒に暮らしているのですか?」
崩子ちゃんは僕の目を見て続ける。
「お兄ちゃんのことですから、何も考えていないのかもしれませんが。それでもそろそろ私は大丈夫です。お兄ちゃんが誰と結婚しようと、私のお兄ちゃんはお兄ちゃんですが。萌太は二年前のあの時より亡くなりましたが。唯一の家族と呼べる萌太は私が殺してしまったようなものですが、私の手で家族をなくしたものですが。お兄ちゃんが私に新しい家族を下さいました。そろそろお兄ちゃん自身のことを考えてもいいと思ったのです」
その言葉に僕は、そうまるで考えていなかった訳でもない、劣性を克服した玖渚。
ハイエンドを超越した高みに居たそのスペックを跡形もなく失った玖渚。
そろそろ頃合なのかもしれない。
ただ、そうならなかったのはそういった話が出なかったからかもしれない。
言われるとおりに何も考えていなかったからかもしれない。
それでも目の前の少女が、二年と少しの間家族として暮らしていた少女の事を考えていなかったと言えば。
「戯言だよなぁ……」
目の前の少女にすら届かないぐらいの声で、口より外には漏れないほどの声で呟いた。
何も考えていないと言えば、それは戯言、気にしていなかったわけが無い。
「そうも考えたのですが」
ん……。
「そうも思えたのですが。誰と結婚しても構わないと思えたのですが。お兄ちゃん」
更に続く。
「私はどうですか。鈍いお兄ちゃんが気づいていたかどうかは微妙なところだと思っていますが。私も後半年で十六歳です」
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